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インクルーシブ教育とは?

2016.07.29
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こんにちは。名古屋市・豊田市の発達障害専門の個別指導塾・児童発達支援のステラ幼児教室・個別支援塾です。

皆さんはインクルーシブ教育という言葉をご存知ですか?
 
障害者権利条約によれば、
 
「インクルーシブ教育システムとは、人間の多様性の尊重等を強化、障害者が精神的及び身体的な機能等を最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能にするという目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、そこでは、障害のある者が一般的な教育制度から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供されること等が必要とされている。」
 
ということです。
 
結局何が言いたいかというと、

障害のある子どもない子ども、すべての子どもに対して子ども一人一人に合った適切な教育的支援を「通常の学級において」行う教育をやっていきましょう!

ということです。
 
言葉で言うだけであれば簡単ですが、実際にとなると・・・。
どうなのでしょう?
本当にできるのか?
というのが皆の心の中にあるのではないでしょうか?
 
インクルーシブ教育の研究者である野口晃菜さんがこんな事を言っていました。

 今、社会の価値観は多様化しています。それなのに、学校の中で画一的な価値観が正しいと教えるのは間違っています。社会に出たら自分とは違う価値観の人が当たり前のようにたくさんいて、その中でいかに共存していくかを考えられる大人になってほしいと考えています。

まさに!という感じです。
こんなに多様化社会なのに、どうして学校は画一的な価値観なのでしょうか。みんなが同じでなければならないなんて誰が決めたのでしょうか?それぞれの個性があるからこそ、その個性に合った教育が必要ですよね。
 
他にもこんな事も言ってみえます。

 この子は障害があるからこういう教育をしていきましょうというのは、そもそもの通常教育が、画一的ならば意味がないんです。通常教育自体が多様にならないと、障害のある子たちにとって多様な教育を用意しても意味がない。
 
今言われているのが、通常学級に発達障害の子がいますってなったときに、生徒指導の一環として離籍した子どもは叱る、でも発達障害の子は叱らないってなっちゃってる。でも、それって本質的に違うと感じます。
たとえば、学習障害の子に対して、タブレットを使っていきましょうとなったとします。それが今後当たり前になっていくんですが、そうなったときにほかの子達は普通にノートを取っています、そのときに先生がなんて説明するかというと、「あの子はノートで学習できないからタブレットを使っています」となります。それがインクルーシブかというと、私はインクルーシブじゃないと思う。
 
そもそも子どもたち一人ひとりが多様であることを前提とした上で、一人ひとりに質の高い教育を提供していくという考えに立たないと意味がないと思います。障害のある子だけに合理的配慮といって特別な支援をしていくっていうのは違くて、そもそも一人ひとりが違っていて、それぞれにあった教育を提供していくという視点に立たないと、文化として、「やっぱりあの子達は特別でしかないんだよ」、「僕たちとは違うよね」という二つに分かれてしまうというところが本質的ではないんです。

そうなんですよね。
「合理的配慮」を学校にお願いすると、「特別扱い」になってしまうのです。
私も「学習しづらい子にタブレットを」と思っていました。でもそれはただの特別扱いでしかないのです。
それは「みんな同じ」の中に一人「特別」な子がいるわけなのです。
そうではなく、みんなそれぞれが個性に合った「学習の仕方」をしていくことが必要なのですね。
インクルーシブ教育の本質を考え、今後「学習しやすい学校」になっていくとよいですね。
 

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